2009-09-25

運がいい

私は幼いころから親に「運のいい子」と言われてきました。
そもそもの由縁は、和裁が得意だった祖母が私の赤ん坊用布団をつくるべく、布団生地を買いに行ったときの福引で大当たりを引いたのだとか。金杯だか銀杯だかが当たったのだそうです。
それ以降、生まれる前から「運のいい子」説というのが定着しました。

大半はもう忘れてしまいましたが、事あるごとに「お前は運がよい」と。
たとえば、
・家族4人の名前で抽選に応募したら、当たったのは私の分だった、とか
・私宛にきた年賀状の枚数の割には切手のあたりが多かった、とか
・10年ぐらい前に年末ジャンボをバラで10枚買ったら11枚入っていて、300円の当たりが2枚入っていたとか
・ギリギリ綱渡りのタイミングでも、なんとか失業せずに転職できた、とか
・高校生のころにバブルが崩壊したことまでも。(父によると、大学に入る頃に大不況であれば卒業する頃には好景気だろうという予測。過ぎてみれば卒業時は就職氷河期だったんですが)

という他愛のないものから本当に運が良いのか??と思うようなものがほとんどなんですが、時々は大きな当たりもありました。大学受験も。滑り止めと思って受けた大学には落ちましたが、本命にはなんとかスレスレで通過することができました。
ついでに、試験の類は4とか9とか普通嫌がるような数字の番号の方が縁起が良いです。

さて、我が家の「運のいい子説」は、私の名前の画数のよさに支えられております。
名付けられたとき、縁起のいい画数というのを狙って総画31画の名前となりました。これはとてもよいのだそうで、名前の画数に詳しい人にはいつもほめられます。

ところが、私の運の良さの根源であるところの総画数、名前が変わると変わっちゃうじゃないですか・・・。今から7年ほど前、旦那さまと結婚しようかなあ、となったとき、旦那さまの苗字を数えてみました。なんと、私の旧姓と同じ画数。つまり、苗字を変えてもこれまでの総画31画は守られるではないですか。これは運命!!と思う気持ちを後押ししてくれました。

ここしばらく、自分が運がいいと思えることに行き当たらなかった(むしろ、わたしばっかり・・・みたいな気分もしばしばだった)ので、忘れていたのですが、振り返ってみると、私の場合、もともとは運はよいに違いない!(と思いたい)。
でも、その運が発揮されるのは、常にあまり余裕のない状況。強く願うけれど、ギリギリ切羽詰まったときにこそ強運を発揮できるタイプなんではないか、と。

ということは・・・。
今ですよ、今。
可能性がないわけではない、でも、そんなに悠長なことを言っていられる余裕はない。まさに私が得意とする運の使い時ってもんです。
どうか赤ちゃんがやってきてくれますように。待ってるよ~。

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